16世紀スペイン軍は南米を次々と攻略し、当時一大帝国を築き上げていたインカ帝国もその標的となりました。インカ軍は徐々にジャングルの奥地へと追いやられ、秘密基地ビルカバンバに立て篭もり抵抗続けますが、遂に1532年皇帝アタワルパが捕えられ処刑され、インカ帝国は終焉の時を迎えます。
その後、スペイン軍はビルカバンバの眠る財宝を求めて捜索しましたが、結局発見されることなくいつしか“伝説の都市”と呼ばれるようになります。
それから400年の時を経た1911年。
『非常に高い山の頂にあり、精巧な技術で建造された壮大な建物が聳え立つ。』
という僅かなヒントをもとに、ハイラム・ビンガムという一人の考古学者が“空中都市”“失われた都市”マチュピチュを発見し、眠れる都市は現世に蘇りました。
今ではビルカバンバは別の遺跡であるというのが定説になっていますが、インカの都市がスペイン軍によってことごとく破壊された中、この空中都市は断崖と切り立った山々に囲まれた立地条件故に、スペイン軍に発見さることなくほぼ無傷の状態で残った為、貴重な歴史的建造物としてその価値は高く評価されています。
ビンガムが発見した当時は、数百年の歳月によって草に埋もれた廃墟と化していたそうです。
マチュピチュまでは、クスコ近郊のポロイ駅から電車で3時間強の所にあるマチュピチュ村から更にバスで30分程くねくねとした急な山道を登った所にあります。
俺はマチュピチュ村に1泊し、朝5時半発の始発のシャトルバスで遺跡に向かいました。
マチュピチュ(老いた峰)に相対するワイナピチュ(若い峰)に登る為です。
ワイナピチュは断崖絶壁の山の為、毎年転落事故があり、その為1日400人までしか入山することが出来ません。
ちなみに、ワイナピチュとは
あの超超有名なマチュピチュの写真の後ろに聳える山です。
6時の開門と同時に一目散にワイナピチュの山道入口に向かい、3番目で登山開始。急な上り坂を休むことなく、急いで登ります。
俺は標高4000m以上のボリビアから徐々に高度を落としてきた為、そこまでキツくありませんでした。
息切れしまくりの前の2人をサクッと追い越し、後は独走状態。
他の追従を許さず20分程で山頂に到着。
ワイナピチュ、この日1番乗り!!!!!!!!!目標達成です^^。山頂は岩が剥き出しの小さなスペースしかなく、数人でいっぱいになる広さ。
誰もいない静かな環境でマチュピチュの絶景を独り占め・・・したかったのですが、残念ながら朝靄で完全な姿は見えず(ToT)。
でも朝靄の中、ボンヤリと見えるマチュピチュも最高でした。
マチュピチュまでのバスルート、“ハイラム・ビンガム・ロード”も見えます。周りは奥深いジャングルですね。
そして、ワイナピチュから下りた後は、マチュピチュ観光。
この写真ですよね!!!いつも見るの!!!後ろに見えるのが、ワイナピチュです。
やっぱり感動しちゃいました。そしていつものお決まりポーズで^^。
遺跡は大勢の観光客がいるものの、遺跡が広大なのでノンビリとした雰囲気です。すぐそばにはリャマがいます。そしてその近くには、当時儀式の際に生贄のリャマを繋いでおく巨石がありました。よく見ると写真左側にロープを結ぶ穴があります。
市街地への入り口の門をくぐると岩切り場があり、その奥には“3つの窓の神殿”、“主神殿”があります。
インカ発祥の2大伝説のうち、1つはこの3つの穴から8人兄弟が湧き出し、そのうちの1人が初代皇帝マンコ・カパックだったというものです。ちなみにもう1つの説は、以前書いた様に、ティティカカ湖の太陽の島にマンコ・カパックが降り立ったとされるものです。
いずれにせよ綿密な計画に基づいて築かれており、当時重要な場所だったと考えられています。
“神聖な広場”には“インティワタナ”と呼ばれる高さ1.8mの日時計があります。
マチュピチュの中でも最も高い場所にあり、石の角柱の対角線を冬至に太陽が通過し、各角は東西南北を指していることから、太陽暦を使用していたインカでは、『太陽神の礼拝所ではないか。』というのが有力だそうです。
また、この広場のすぐ脇に広がる急峻な段々畑をハイラム・ビンガムら一行は登ってきたそうです。
凄ぇぇ(笑)、よく頑張りましたビンガムさん^^。
そして適当に遺跡内を歩いていると、観光客が群がる一角が。
みんな大盛りあがりです。
近づいて見てみると・・・・、
・・・・・・・・・!!!!!!!!!!!
・・・・・・・・・・・・・・(笑)。
コラコラァ
“失われた空中都市・マチュピチュ”。
さすが、全世界から観光客が押し寄せるだけのことはあります^^。