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03/10  無形財産 

先日早朝にこのブログのメッセージフォームから数年ぶりにメッセージが届きました。検索しても見当たらないであろうマイナーなブログからわざわざメッセージを送ってくれる人は稀有な存在で、しかも旅行を終えてから8年も過ぎています。
驚きながら開くと2行の短いものでした。

“現地時間3月4日 午後4時ごろ 谷垣先生が亡くなられたそうです。
悲しくてなりません。”

嘘であってほしいと願いながら慌てて検索しましたが、これだけ情報豊富な世の中なのにインターネットでもなかなかヒットしません。連日検索を続け、今朝になってやっと先生の郷里である京都新聞からわずかに記事が出ました。悲しく、残念です。

アフリカ最貧国で40年に渡り、独力で地域医療の発展に、身を粉にしてといっては軽すぎる、僕のつたない語彙力では本当に表現できないほど、…結果的には自分の命と引き換えにまで途上国医療に貢献された先生です。
2008-2009年の世界一周の目的は2つあって、一つはインターネットや活字ではない世界中の生の空気を感じること、そしてもう一つは谷垣先生に会いに行くことでした。
なぜ先生を知ったのか・先生に会いに行く道中の経過はブログにあるので省略しますが、自分の人生観・価値観を大きく変える出逢いであったことは確かです。
この出会いだけでも、旅行に行った価値はあると思うし、それこそ僕の心の中に残る無形財産であると断言できます。
同業者としてという狭義では収まりきらない、間違いなくこれまでの人生の出会いの中で片手にも満たない、自分自身にとんでもない影響を与えて下さった方です。

先生との出逢いで学ばせて頂いたこと
①人間の力量・医師の力量とは、学歴や肩書き・社会的地位・手先の器用さなどだけではない。もっともっと大切な指標がある。自分の中でその指標を絶対に忘れない。

②人として謙虚な心を忘れない。医療者として自分の力量をわきまえて、決して己を過信しない。

③周りの情報やエゴに負けず流されず、自分の信じる生き方・生き様を大切にする。


今後もこのことを常に意識して忘れず、日々過ごしていきます。

今頃、愛する奥様と一緒にアフリカの地に眠っていらっしゃる先生。
一緒に過ごした3日間、先生と病院から自宅に戻ると、『岩畔さん、ちょっとここで待っていて下さい。』と言って、必ず一人で墓前に向かわれていた後ろ姿を忘れません。
今頃再会して、奥様と昔の思い出話などされているのでしょうか?それとも、奥様にその後の孤軍奮闘ぶりをご報告されているのでしょうか?それともとことん寡黙に過ごされているのでしょうか(笑)?

先生との出逢いは僕の財産で、出会えたことに本当に本当に感謝しています。素敵で格好良い先生でした。有難うございました。ご冥福をお祈りします。

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[ 2017/03/10 12:26 ] 旅行特別編~Dr.Tanigaki/谷垣先生関連 | トラックバック(-) | CM(1)

08/06  アフリカの谷垣先生を想う 

ただいま、2013年8月6日午前1:30をまわったところ。

静寂の医局でふとアフリカにいる谷垣先生を想う。

日々医療現場で医療に追われながら得る充実感の一方で、ふと感じる釈然としない焦燥感・不安感。


発達した医療器具・医療薬剤に支えられた高度な先進医療。


人の命はとても重いけれど、我々人間だって地球上の何百・何千億(それ以上かもしれない)いる

生き物の中のたった一つの命にすぎない。


どんどん際限なく急激に進歩する医療に対する違和感。



アフリカで感じたこと。

“死”が身近にあるからこそ、力強く美しい“生”


アフリカで日本よりもっと過酷で残酷な“生”の営みを見ている谷垣先生は、今の日本の医療・日本人

の死生観についてどう思うのだろう。

[ 2013/08/06 02:00 ] 旅行特別編~Dr.Tanigaki/谷垣先生関連 | トラックバック(-) | CM(4)

09/10  谷垣 雄三先生 其の六 

注釈:9月4日~8日にかけて、谷垣先生にお会いする為に、テッサワに行ってきました。その道中をご報告しますが、このブログの特性上、最新の日記が一番上に表示されますが、今回は経時順にまとめて更新したので、其の壱より順にご覧下さい。
そして、お願いがあります。これを読む前にお手数ですが、今一度、〔旅にむける想い・旅の楽しみ〕編の谷垣先生に関する文章を読み、理解を深めてから読んでください。




先生には毎晩、色々貴重なお話を聞かせて頂きました。
ニジェールに来てからの日々、パイロットセンター設立の苦労話・歴史、etc。
寡黙な先生が一呼吸置いてから発する言葉は、珠玉の数々で、心に響きました。

そして、先生が日本の支援者の方に活動を理解してもらう為に、自ら作ったというビデオを見させて頂きました。ナレーターはもちろん谷垣先生自身です。
一部先生の了承を得て、ここに掲載します。

『ニジェール地方外科改善のためのパイロットセンター活動報告』

1985年WHOの総会で、援助漬けになっているアフリカの医療に
住民負担の原則を導入することが確認された。
ニアメ病院で10年間ニジェールでの外科を見てきた谷垣は、
地方外科医療の改善を住民負担の原則に基づいて実施する為には、
準備しなければならないことがあると考え、
テッサワにパイロットセンターを設立した。

〔ニジェールの地方での医療の問題点〕
1986年ニジェール大統領日本訪問の折、
天皇陛下はニジェールの医療についてご質問されました。
随員代表の(ニジェール)厚生大臣は、
『ニジェールの地方は井戸の周りに集落ができ、集落間は踏み固められた道で通じている。
このため、例えば、村で難産から子宮破裂になると、牛引かせた車で移動する。
深い砂道に板を臥して運ばれる患者だけでなく、牛も難儀し、
時間が来ると用意したワラを食べさせないと牛は動かない。
50kmの道のりに10時間かかり、診療所に着いても、
手術のできる病院まで長い時間がかかる。
医療の改善は困難を極めている。』
と申し上げると、陛下は厚生大臣の手を両手で取られ、
力いっぱい何度も握られたと、大臣は伝えてくれました。

ニジェールの地方での医療のもう1つの問題点は、
住民1家族の年収が1万円といわれ、僅かなことです。
ニジェールの地方に住民負担として外科を導入するためには、
高価になっている現代外科をもう1度見直し、
安全性のテストの上、地方で負担できる外科とすることが必要となります。

テストのできる条件を整えるため一番心を痛めたのは手術室の構造でした。
理由は、サハラから押し寄せる砂ぼこり、家畜が行き来する道の砂ぼこりで
部屋は真っ白になること。
感染してくる患者は、感染が進んでいて、衣服も汚染し、院内を汚すからです。
ニジェールの首都にあるニアメ病院はニジェール川に沿い、
環境はパイロットセンターと比較して大変良いことをビデオでお伝えします。
一方パイロットセンターは、家畜の群れが埃をあげながら通る道に接しています。

頭を去来して止まなかった、
手術室にフィルターを導入することは維持が出来ないため諦め、
手術室の改造、新設をして出来る限りの完全さを求めました。
また、感染患者は包帯交換で、感染を防御できていないため、
感染巣をオープンにし、本人に水で創を洗わせる方針としました。
その上で、一般外科患者の手術をして、術後感染の無いことを確かめました。
この結果次々とテストを行い、数年にわたり安全性を確認しました。
このテストの結果、大幅な維持費の削減が可能となっています。
ニジェール側には活動のまとめを提出しますが、次の3点については、
いずれも術後感染の問題ですが、日本でご検討をお願いいたします。




パイロットセンターでの医療は、外科原則は厳守しても、内容が変わっていることがあります。
例えば、帝王切開も日本と大きな差があることをお伝えします。
パイロットセンターでの帝王切開は、
テッサワの産院センターで手術適応が決められ、送られてきます。
2004年に64例行われ、その3分の1は子宮破裂など、大出血を伴う疾患で、
その他は物理的に出産不可能な患者です。
胎児が生存しているのは48%です。

問題点は、
第1に村で異常と判断され、移送され、産院に着くまでに、
長くて2日平均12時間経って、すでに感染が始まっていることです。
第2に輸血体制を維持することが難しいことです。

麻酔によるショックを避けるため、手術は局部麻酔のみで行い、
輸血は用意ができたとき行います。
局所麻酔のため、切開は臍を越え上腹部に及びます。子宮切開は体部縦切開となります。
死亡は4例あり、死亡率は6.2%です。

帝王切開の様子、続いて患者を村まで送り届けて再会を喜ぶお母さん、
出産祝いの準備、お勝手をビデオでお送りいたします。
本人の夫は3ヶ月前、熱の為亡くなっていました。
テッサワにて


パイロットセンターではどんな手術でも2400円で、
それには食費以外の全ての費用が含まれています。
収支については、人件費の一部、電気・水道代は国家負担になっているため、
大きな工事代を入れなければ、収支のバランスは取れています。
ニアメ病院では手術は3万円前後で、他に検査代を加えると、
パイロットセンターの15倍の費用です。収支については問い合わせておりません。

無料に近かったニアメ病院とパイロットセンターは同じ時期に出発しましたが、
治療費に大きな差ができています。
しかしニアメ病院の外科医は良い手術をするため、この治療費は住民に受け入れられています。
これはパイロットセンターでの仕事と別の価値の問題であることをご理解お願いいたします。

長い年月かかりましたが、住民負担で可能な外科を作り上げるパイロットセンターの目的を達していると考えます。


〔活動の問題点〕
地方で住民負担として外科を維持することに重点がおかれ、無理をしている面があります。
例えば、臨床検査の問題として、初期の頃停電が1週間続き、
ストックした試薬は43℃の気温に耐えられない、地方の現実に直面し、
さらに住民負担の原則に立ち返り、
臨床検査を充実させたい希望と逆に、
次々と必要最小限に絞り込んでいます。


〔感謝の言葉〕
幾度となく機材をお送りいただき、給料を支えていただきました、
外務省、JICAに厚く御礼申し上げます。
長い年月全力で支えていただきました、
○○ △△先生有難うございました。
このビデオは○○先生なくしてありません。







うまく説明できませんが、日本とは医療水準も技術も、
そして死生観でさえもかけ離れたアフリカのニジェールで、
ここまでひた向きに、ニジェールの人々の為、国の為、自分の信じる道を見事なまでに貫き通す先生の姿。
皆さんはどう感じますか?



本当に凄い方にお会いできました。




ここでは具体的には書きませんが、脅威に感じる数々の妨害・嫌がらせも多々あったそうです。
1国家が1個人にここまでするのかという程の、政治的、裏社会的な内容を聞いた時は、怒りを感じずにはいられませんでした。
そして、そこに日本人の存在もあったというのは、悲しくて仕方ありません。
俺はそいつに会った時、迷うことなくぶん殴ります。
日本人として、俺はその人間を日本人とは絶対に認めません。


しかし、そういった妨害も先生の“志”“決意”までを妨害することは出来なかったのです。


人の志は時として、国家にも打ち勝つのです。



最後の晩、先生にいくつか質問をしました。

先生にとってこのパイロットセンターとは何ですか?
―――勉強の場です。色々僕が教わってるんですね。それだけで満足です。

先生にとって生きがいとは何ですか?
―――山登りでは完走・完登しなければ意味がありません。パイロットセンターも、同じです。
やりきらなければ意味がありません。
でも、それが“生きがい”というわけでもないです。
ただ、やるだけです。

先生の座右の銘は何ですか?
―――特に何もありません。あまりそういうことは考えませんが、昔医者になった時、父に『インチキだけはするな。』と言われたことは、時々考えます。

医療者として何かアドバイス頂けますか?
―――今何かを求めて旅をされている。ここ(パイロットセンター)も同じことです。
自分の完成を求めて、自分の好きなことをやっているだけなので、特に忠告めいたことはありません。
忠告というより、むしろ色々教えて頂きたいという気持ちの方が大きいです。

まぁ、インチキをせず、パイロットセンターを維持できればいいと思ってます。 
今日見られたX線の機械の問題のように、突然のイベントが多々あって、必要最小限でやるしかない。
無理にやろうとすると、それこそ動きが取れなくなるんです。
足を引っ張られた時は、ただ耐え、満足とかなによりも、ただ生きるんです。
ギリギリやっているだけです。



最後まで、謙虚で、寡黙な先生でした。
俺は最初次々と質問をしては、何か聞きだそうとしましたが、先生は決まって沈黙の後、熟考の後、謙虚な言葉を発せられるのです。
言葉ではなく、態度で、背中で見せる男でした。



最後に、ビデオにあった先生の言葉をいくつか掲載します。
先生にお会いでき、僅かながらも先生の日常を共に過ごせたことだけでも、この旅にでた甲斐がありました。


人の一生とは?人生の価値とは?



また是非お会いしたいです。
テッサワにて テッサワにて 



テッサワにて


パイロットセンターの活動の原動力となったことは、
外科の技術ではなく、
外科の心の問題です。
パイロットセンターを通すことなく、地方外科の改善はないと信じています。

いつも話すことをメモし、良い理解者で、       
1度だけ、
『ニジェールだからといって、いい加減なことはしないでね。』
と言った、
懐かしい懐かしい静子に有難う。

[ 2008/09/10 07:39 ] 旅行特別編~Dr.Tanigaki/谷垣先生関連 | トラックバック(-) | CM(0)

09/10  谷垣 雄三先生 其の五 

注釈:9月4日~8日にかけて、谷垣先生にお会いする為に、テッサワに行ってきました。
その道中をご報告しますが、このブログの特性上、最新の日記が一番上に表示されますが、今回は経時順にまとめて更新したので、其の壱より順にご覧下さい。





先生のお宅に泊めさせて頂き、更には3度の食事までご馳走になりました・・・。
朝は、トースト・野菜・果物・紅茶、昼は先生手作りの地元の食材を使ったきな粉スープや釜飯・味噌汁、
夜はお手伝いさんの奥さんお手製のローカル料理etc。
ニジェールに来て一番食が豊かだった4日間でした(笑)。
しかし、釜飯と味噌汁には感動しました^^。とっても美味しかったです。
もう本当にお世話になりっぱなしでした。
テッサワにて テッサワにて テッサワにて テッサワにて テッサワにて 


こちらは毎晩わざわざ自宅から奥さんの手料理を運んでくれた、お手伝いさんのパトロンです。
写真を撮ろうとすると、急に真面目になり、色々ポーズしてくれました(笑)。
彼にはお礼として、愛用のラグビー日本代表ジャージをプレゼントしました。パトロン有難う!!
テッサワにて テッサワにて テッサワにて 


また、ナイロビで宮田さんから頂いた餞別の日本食も食べさせて頂きました。
宮田さん有難うございました。先生と美味しく頂きましたよ^^。
テッサワにて テッサワにて 


最終日は、日曜日だった為、看護師さんがテッサワの日曜マーケットに案内してくれました。
どこからともなく集まる、人・家畜・商品の多さに驚きました。
テッサワにて テッサワにて テッサワにて テッサワにて テッサワにて 




こうして(といっても大分簡略的でしたが、笑)、テッサワでの4日間はあっという間に過ぎました。
そして、昨晩ニアメに帰ってきたという訳です。

[ 2008/09/10 06:06 ] 旅行特別編~Dr.Tanigaki/谷垣先生関連 | トラックバック(-) | CM(0)

09/10  谷垣 雄三先生 其の四 

注釈:9月4日~8日にかけて、谷垣先生にお会いする為に、テッサワに行ってきました。その道中をご報告しますが、このブログの特性上、最新の日記が一番上に表示されますが、今回は経時順にまとめて更新したので、其の壱より順にご覧下さい。



パイロットセンターでは、先生の他3人の新卒の看護師が中心となって診療にあたっていました。
午前中に手術及び包帯交換、回診を行い、午後は診察、回診といった流れです。
今は夜間の緊急手術は行っていませんが、以前は夜間も患者さんが来れば、手術を行っていたそうです。
俺が見学させていただいた9月は農作物の収穫シーズンで、多くの人が畑に仕事に出る為、1年の中でも患者さんが最も少ない時期だそうです。その為幸運にも、先生に施設を説明していただきながら、色々とお話を伺うことが出来ました。

以下見学内容を簡単にご紹介します。
こちらは手術室です。ガウンや帽子・マスクは滅菌消毒し使っているそうです。そして、テレビにあったように、実際に日本の中古新聞紙も使われていました。物資も豊かで、最先端医療を実施している日本に比べると、道具や設備に差がありましたが、清潔野等に関する意識は高く、気遣いもしっかりされており、この過酷な環境下で、僕が見てきた日本の医療と大きな差が無いことは正直驚きでした。看護師さんの連携フットワークもとても機敏で、無駄がなかったです。
テッサワにて テッサワにて テッサワにて テッサワにて 

そして、丁寧に記録されている手術台帳。
テッサワにて


包交を終え、一休みの谷垣先生(笑)。
テッサワにて


オペ、包交が終わると、午前中の回診です。
回診で訪れると、みんな笑顔でとても満足そうなのが印象的でした。患者さんの中には、数百kmはなれた場所から来たという人も何人かいました。
テッサワにて テッサワにて 

午後は、外来診察が中心です。日本のように専門科でわけることはなく、その為症例は多岐にわたります。症状も様々。やはり感染症関連が割合多かったのは、日本との違いですね。
覚えている限りの疾患・症状を挙げると、心不全、膀胱結石、鼡径ヘルニア、甲状腺腫瘍、ライ病、肝炎、肝硬変疑い、アメーバー赤痢疑い、腸チフス、陰嚢水腫、胃潰瘍、性器出血、胆石症疑い、骨折等です。
検査は主に、超音波・X線・内視鏡・心電図を行っていました。
この様な僻地にこれだけの機材が揃っていることに驚きました。
しかし安く設定した検査代も、貧しい人達にとっては大きな負担となる為、最小限に絞らざるを得ない状況だそうです。
日本では、如何に自分が充実した恵まれた設備環境で仕事をしていたか痛感しました。そしてそれ故、時として安易に、検査頼みになりがちであった面も否定できません。
この様な環境では、検査が出来ていれば発見できた疾患も気付けないこともあるかもしれませんが、逆に身体所見や診察がより重要となり、より診察技能・洞察力などの技術が必要となることを感じました。
またここでも、ナイジェリアから来ただとか、300km離れた町からやってきた等、先生の診察を求めてはるばる来た患者さんもいました。アフリカでは日本のように、全ての人が満足な診療を受けれるとは限りません。貧しいという理由で、診察すらしてもらえない、医者が拒否することもあるのです。それが、アフリカの現実です。
テッサワにて テッサワにて テッサワにて テッサワにて テッサワにて 

また、気温は30℃を下回ることはなく、虫が飛び交い、医療としては大変厳しい自然環境下でした。先生のシャツの汗を見ていただければ、わかると思います。
テッサワにて 


これは先生のお部屋にて。
書斎には、科を問わず、多くの日本語・フランス語の医学書が山積みになっており、僕の前ではその素振りも見せませんでしたが、先生が日々常に努力されていることを感じました。
医学生なら誰もが知っている『100%』もありました^^。
テッサワにて



そして1日の診療を終え、先生のご自宅まで帰る途中の車窓です。砂埃の舞う砂漠の大地といったところです。
テッサワにて テッサワにて 
[ 2008/09/10 06:04 ] 旅行特別編~Dr.Tanigaki/谷垣先生関連 | トラックバック(-) | CM(0)
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