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01/21  ゴッホ史跡巡りとオランダ流冬のスポーツ 

ユトレヒトの後はアイントホーベンへ移動しました。
アイントホーベンに関しては特に何も情報が無く、ただ単に友達に会いに行くのが目的だったのですが、調べてみるとヴァン・ゴッホが一時期住んだという小さな町がすぐ郊外にあることがわかりました。
アムステルダムのゴッホ美術館でよく名前が出てきた“ニューネン”という町です。彼の父親がこの町の牧師として赴任していたので、ゴッホも移り住み、ここで初期の多くの絵を描いたそうです。
町中に“ゴッホゆかりの~”といった案内板があり、彼と家族が住んだ家も残っていましたが、なんと普通に貸家として人が住んでいました(笑)。
美術館で自分が見てきた絵のモデルとなった風景が広がっていて、余計に興味深く感じられました。
『ニューネン』
ニューネン




ニューネンの町並。
ニューネンにて ニューネンにて 

新旧のゴッホ・ハウス。
ニューネンにて ニューネンにて 

ゴッホの父親が活動していた教会。
ニューネンにて 

彼と家族が住んでいた家。
ニューネンにて 

町のスクエアーにあるゴッホ像。
ニューネンにて ニューネンにて 

少し歩くとすぐに長閑な風景が広がります。アイススケートはオランダでは大変人気のあるスポーツです。
ニューネンにて ニューネンにて 

午後はお世話になっている友達がスケートをしたいというので、近くの湖に行きました。
完全に凍っていて、氷上には多くの家族連れで大賑わいです。大人も子供もみんな楽しそうに滑っていました。偶然、職場の同僚と再会し、みんなで記念撮影on the lake。
ニューネンにて ニューネンにて アイントホーベンにて 

そういえば着いた初日は友達の誕生会で、家に多くのオランダ人が集合しました。
家族に上司に同僚に友達。またもや完全アウェーです。
しかし面白いもので、俺に興味を持つ人と持たない人ははっきり分かりますね。興味を持っていてくれている人は俺が話しかけると、途端に色々質問してきたり、積極的に絡んできてくれますが、興味無い人は全く素っ気ない(笑)。まともに人の顔すら見ようとしません。
そんな時は決まって友達は俺にかまってくれて、“優しさ”を実感しました(笑)。
『みんなオランダ語で大変でしょう(笑)??彼らは今~~~について話していたのよ。』と逐一通訳してくれます。
俺も日本で逆の立場になったら、彼女の様にどんどん説明してあげないといけないなぁと感じますね。
気付ける人と気付けない人の違いは大きいです。


翌日は彼女が大学に通ったマストリヒトという街に行きました。アイントホーベンから電車で南に1時間。
ドイツ、ベルギーとの国境に近い街です。彼女はオランダの女医さんなのですが、オランダでは大学6年間のうち、最後の2年は病院実習ではなく、実際に働くそうです。学生のうちから僅かながらもお給料を貰えるらしいです。日本の研修が2年早まって、学生のうちに終わらせるみたいなものなんですかね^^??
卒業後は直ぐに自分の進路を決めるのだそうです。
そしてヨーロッパの人達に驚かれることとして、日本の医大ではラテン語を学ばないということがあります。
ヨーロッパではオーストリア、ドイツ、オランダ、フランス、みん医大生はラテン語を勉強するらしいです。
『細菌名とか全部ラテン語なのに、どうやって勉強するの!?』
と何度か聞かれました。その都度、
『俺らにとってラテン語も英語も全部一緒さ!!』
と答えますが、何だか少し恥ずかしい気分でしたね。
日本の医療現場で働く限りでは、英語、特に会話の機会はあまりありませんが、こちらでは様々な患者さんが来るので、必然的に英語なりラテン語なり、語学の習得が必要になるそうです。
幸か不幸か、やっぱり日本は“特別”な国だなぁと感じました。

マストリヒトの町並です。

マストリヒトにて マストリヒトにて マストリヒトにて マストリヒトにて 


『アイントホーベン』
アイントホーベン

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[ 2009/01/21 02:57 ] 旅行道中編~Netherlands | トラックバック(-) | CM(0)

01/20  手料理その後 

北海沿岸部の都市デン・ハーグは首都ではありませんが、オランダの行政の中心地で、国会議事堂や総理府、各国大使館等があります。
デン・ハーグにはユトレヒトから日帰りで行ってきました。
中央駅周辺の近代的なビル群と国会議事堂があるビネンホフ周辺の古い町並みのコントラストが印象的でした。
ビネンホフの写真です。
デン・ハーグにて 
デン・ハーグにて デン・ハーグにて 

反イスラエルデモで使われていたプラカード。
オランダで悲劇のユダヤ人(イスラエル人)アンネ・フランクにパレスチナのターバン。強烈です。
デン・ハーグにて

動画は今回より字幕説明付きです!!
『デン・ハーグ』
デン・ハーグ



オランダではユトレヒトとアイントホーベンという街でそれぞれ友達の家に泊めさせてもらっていました。
ユトレヒトは商工業が盛んな内陸部の街です。
旧市街地にある“ドーム”と呼ばれる教会は、どこからでも見えるランドマークタワーで、ツアーで上まで登ることができます。
折角なので参加してみましたが、ガイドさんがとても丁寧に説明してくれたので、非常に楽しめました。
屋上からの景色はご覧のとおり、とても綺麗でした。
古い町並みに、運河、風車。オランダらしい景色ですね。
ユトレヒトにて 


ユトレヒトにて ユトレヒトにて 


ユトレヒトにて 
これはドームの影です^^。

またアムステルダム同様、中心部には運河が流れていて、運河クルーズも行われていました。
ユトレヒトにて ユトレヒトにて ユトレヒトにて 

動画:『ユトレヒト』
ユトレヒト


中心部から友達の家までは歩いて40分ほど。時々、バスに乗らずに歩いて帰ってみました。
乗物であっけなく通過するのと、歩いてゆっくり帰るのでは同じ道でも印象が違います。途中、何気ない面白いモニュメントを発見したり、信号で立ち止まった交差点で巨大な風車を見つけたり、カフェに寄って地元の人に交ざってボケーっと過ごしてみたり。僅かでもローカルの視線から街を見れるのが楽しいです。
ユトレヒトにて ユトレヒトにて ユトレヒトにて 

帰り際スーパーに寄ってビールを探していると、何やら見覚えのある文字が・・・。
ユトレヒトにて ユトレヒトにて 

“生”

・・・、日本語だ!!
柚子と日本茶を使ったビールで、思わず買ってみました。味はなかなか美味しかったのですが、柚子の味も日本茶の味もしませんでした(笑)。コロナビールのようなフルーティーでさっぱりとした飲みくち。いかにも外国人好みの味ですね^^。
“iki”=“いき”=“粋”
と勝手に解釈し、なかなか良いネーミングだと一人感心していました(笑)。

お世話になった友達は、これまたキャンプツアーで知り合ったのですが、若者ばかりの落ち着きのないツアーにあって、唯一落ち着いた、非常に気遣いのできる人でした(笑)。
ケニアでは一部テントをシェアーして、夜な夜な色々と語り合ったものでした。
ユトレヒトに着いた日は、オランダのビアハウスに行き、オランダビールを楽しんだ後、家で家庭料理を作ってくれました。ドイツで何度か食べた、マッシュポテトwithほうれん草にウィンナー(笑)。やっぱりヨーロッパの料理は名前は違えど、似たようなものが多いですね。もちろん美味しかったですよ^^。
ユトレヒトにて ユトレヒトにて ユトレヒトにて 

家は間接照明主体のお洒落な内装で、アフリカ・アジアを中心に、これまで旅で買い集めた外国雑貨が上手く飾られていました。(今後の参考になります^^)
ユトレヒトにて ユトレヒトにて ユトレヒトにて 

そして最後の夜は、以前触れたように俺の手作り料理で恩返ししました^^。
インターネットで鍋でご飯の炊き方を調べ、一か八かやったのですが、案外上手くいきました。野菜炒めは、にんにくを大量に使い、ワサビ醤油で最後に簡単に味付けし、味噌汁は“味の素様様”です(笑)。
我ながら、点数は90点はあげられる出来でした。(ちなみに俺の座右の銘は、“他人に厳しく、自分に甘く”です)
まさかこの旅行でこんなに気合入れて料理する機会があるとは思ってもいませんでした(笑)。
自分の分だけなら適当に作ってしまいますが、他の人の分もとなると、特に相手が外国人だと“日本料理”を過度に期待してくるので、プレッシャーかかります(笑)。
まぁ結局この日は、“にんにく爆弾野菜炒め”とでも言うべき、完全に俺好みの味になってしまいましたけどね(笑)。
ちなみに彼女は翌日仕事があったのは言うまでもありません。
ユトレヒトにて 
[ 2009/01/20 04:40 ] 旅行道中編~Netherlands | トラックバック(-) | CM(0)

01/17  アムステルダム 

アムステルダムは、ユトレヒトから1泊2日で行ってきました。オランダは国土面積が小さいうえ、鉄道が充実しているので国内移動はとても楽です。

初日は『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクが戦時中、ドイツ軍の迫害から逃れる為隠れ住んでいたアンネ・フランク・ハウスへ行きました。彼女は戦前ナチス台頭前の、不況に喘ぐドイツのフランクフルトで裕福なユダヤ人一家の次女として生まれましたが、その後ドイツ国内でナチスによるユダヤ人弾圧が激化した為、一家でアムステルダムに引っ越し、オランダにもドイツが進駐してきた後は、事務所の一角を改造し、約2年間隠れて住んでいたのでした。しかし、結局誰かの密告により捕えられ、一家はばらばらに強制収容所に送られ、彼女は15歳という若さでチフスにより亡くなりました。
地獄の強制収容所(別名:絶滅収容所ともいわれる)生活から唯一生還できた父オットー・フランクによって彼女の日記は戦後出版され、彼女の純粋な、しかし鋭い洞察力から書かれた日記は多くの感動を呼んだそうです。
一度家は取り壊されそうになりますが、アムステルダム市民が反対しアンネ・フランク財団を立ち上げ、今も博物館として残されています。

博物館は西教会のすぐ裏手、アムステルダム運河沿いにひっそりと残っていました。
アムステルダムにて アムステルダムにて アムステルダムにて 

写真撮影をする観光客が外にいなければ気付かず通り過ぎてしまいそうなくらいです。
もともとは父オットーの事務所であった建物をその裏側に隠れ家を作り、“表”と“裏”の通路は本棚でカモフラージュされていました。
当時は事務所で働く従業員に存在を気付かれないよう、昼間は水道を流すことも、トイレを流すことも、もちろん風呂に入ることも出来なかったそうです。2年間一切隠れ家から“表”に出れず、物音をたてることのできない生活。更には、食糧不足に悩み、常に密告の恐怖と隣り合わせの日々。考えただけでもストレスフルな生活であったことが想像できます。
多感な15歳には辛い2年間だったでしょう。彼女の部屋の壁に貼られた映画俳優のポスターやハガキ、雑誌の切り抜きが70年の時を経て、葛藤や希望といった彼女の感情を無言のうちに語りかけています。
博物館から“表”に出ると、明るく暖かい日差しが凍った運河に反射し、キラキラととても綺麗に見えました。
“この景色を2年間も見れずに、挙句強制収容所かぁ・・・。”
アムステルダムにて 

ユトレヒトに帰って友達に感想をもとめられました。
『テツヤはどう感じた??何を感じた??』
俺にとって、遠い異国の数十年前の悲劇は、正直ピンときません。もちろん可哀そうだと思いますが、簡単に『可哀そう。』というのは違う気がします。
ホロコーストで殺されたユダヤ人は計600万人。アウシュヴィッツ強制収容所跡に行ったことはありますが、彼らのドイツ軍から受けた迫害は尋常なものではありませんでした。

自分の民族を否定され、絶滅させられそうになる恐怖は計り知れません。

ドイツ敗戦から3年後、連合国の努力により生き残ったユダヤ人は安住の地としてパレスチナの地にイスラエルを建国しました。そして国連の定めた境界線を越えて、パレスチナに“侵入”し、勝手に境界線を作りました。そして今、ご存じの通り圧倒的な軍事力でパレスチナ人をねじ伏せています。現地でイスラエルの強引なやり方をこの目で見てきたので、ガザで起きていることを想像するのは難しくはありません。ニュースを見る度に、あの時の思い出が蘇ります。

彼らは被害者であり、今は加害者でもあるのです。
しかし以前の恐怖・絶望が彼らの頭上にトラウマとなって暗雲たる影を落としているのかもしれません。
以前に書いた様に歴史も複雑だし、とにかく人種問題は難しい(笑)。

『・・・自分が如何に恵まれているか再認識しました・・・。それしか言えないな。』
俺はこれしか返事できませんでした。非常にセンシティブな内容だし、何か言おうとすると俺の稚拙な英語では余計な誤解を招くかもしれません。



アンネ・フランク・ハウスの後は、元気を出そうと、オランダのアングラではありませんが、赤線地帯に行ってみました^^。
オランダは、ガンジャ・売春は合法です。町を歩いていても、カフェの前を通ると、ガンジャの匂いが漂ってくることはよくあります。
明るい昼下がりでしたが、薄暗い路地には超セクスィーな下着のみを身につけた綺麗なお姉さま方がたくさんいらっしゃいました。目が合うと、イヤラシイ目で誘惑してきます(笑)。
俺も単なるお猿さん。さっきまでのドンヨリした気分は吹き飛び、笑顔になっていました。
しかし、面白いのは観光客の女性も結構歩いていたことですね。日本で風俗街を女性が歩いているのは見かけませんが、こちらでは一つの観光名所なのでしょうか(笑)。
“一体彼女達はどう感じているのだろうか”
と興味が湧きました。


その晩は、オランダが誇る交響楽団コンセルトヘボウのコンサートに行ってきました。前から4列目中央。所々空席があったので、ほぼ最前列で、楽団員の顔がよく見えました。
演奏曲は俺でも知っている様な有名曲ばかりで楽しめました。
前半はウクライナ人ピアニストとのコラボ。最後は彼女のパートナーやら青年が参加して、3人が一つのピアノで同時演奏、すげぇ・・・(笑)。
演奏が終わると、会場は拍手の嵐で、ふと気付くと俺を除いた全員がスタンディング・オーベーションです。座っているのは見渡す限り俺だけで、観客だけでなく、楽団員やピアニストまでもがちらちらと怪訝そうな顔して見てきます(笑)。あんな体験初めて(笑)。
さすがに、景観を損ねると悪いので立っておきました。本当は座っていたかったんですけど、周りのプレッシャーに負けました(笑)。
スタンディング・オーベーションは恥ずかしいっす。
アムステルダムにて アムステルダムにて 

翌朝は寒さも幾分和らぎ、過ごしやすい1日でした。
宿からバス停に向かうと、幾つもクリスマスツリーが捨てられていました。ヨーロッパのあちこちで同じ光景を見ましたが、やっぱり気分良くないですね。一家に1本、相当な数の木が伐採され、こうして捨てられるのかと思うと、“宗教的儀式にこんな自然破壊いいの??”と思ってしまいます(笑)。ミュンヘンの大学生も、
『クリスマスは尊い日だけど、ある面では商業主義の産物だよ。街中買い物、買い物、買い物さ(笑)。』
これも一つの現実ですね。
アムステルダムにて アムステルダムにて アムステルダムにて 

トラムで向かった先は、博物館広場。目当てはゴッホ美術館です。
博物館広場はその名の通り、国立博物館・ゴッホ美術館・市立博物館が並んでいる広場で、近くには昨日訪れたコンセルトヘボウもあります。
アムステルダムにて アムステルダムにて 

ゴッホ美術館、良かった。すげぇ良かった。

芸術センス、-100の俺でも楽しめました。日本語のオーディオガイド付きで、彼の絵だけでなく、人生についても解説があり、一人の人間としてのゴッホを感じることができました。
俺が強く惹かれた点は、彼が若い頃から絵画まっしぐらだったのではなく、職を転々としながら、27歳になって初めて絵を描き始めた点です。積極的ではなく、むしろ消極的なキャリアのスタートに興味が湧きました。
普通、芸術家の人って輝かしい人生史があるじゃないですか。“あぁ~、才能があったのね。”みたいな(笑)。もちろん人知れず、他の人の何倍もの努力をしたのでしょうが、前提には彼らの才能は絶対にありますよね。
その点、彼はその後ほぼ独学で絵画を学び、晩年は病気(癲癇の一種といわれている)に苦しみながら、短銃自殺をとげる。彼が生存中は、彼の絵は評価されることはなかった。

そして、彼が当時ヨーロッパで流行していた日本美術に深い関心を示していたという点も日本人としては気持ちの良いものでした(笑)。
彼は日本を大絶賛していて、日本の様な場所を求めて、ヨーロッパ各地を転々としたそうです。彼が浮世絵を真似て書いた模写画もありましたが、不細工な漢字を見て、彼が必死に真似て書いていたことを想像すると、微笑ましかったです。
俺のお気に入りとしては、彼のキャリアとしては中盤以降の、フランスに移住してからの絵ですね。
風景画が主体ですが、とても綺麗でした。

いやぁ、久しぶりに楽しい美術館巡りでした。
ぽちゃムキンの一押しです。
実は後日、ゴッホの史跡巡りしてしまいました。後日ご報告!!

午後は、アムステルダム名物“運河クルーズ”。船内は閑散期なのかガラガラでした。
夏はさぞかし綺麗なのでしょうが、途中雨は降るし、正直いまいちでしたね(笑)。
船長さんの人柄が良かったのが救いです(笑)。
アムステルダムにて 

こんな感じの駆け足のアムステルダム観光でした。
おまけ:ゴッホ美術館に感動した後に、このハガキ(笑)。
アムステルダムにて 

『アムステルダム』
リンツ


[ 2009/01/17 00:50 ] 旅行道中編~Netherlands | トラックバック(-) | CM(0)

01/09  日本料理 in ユトレヒト 

奇しくも年末風邪をひき、そのまま年越した為、正月は独り寂しく風邪を治すことに専念していました。
やっとこさ3日に元気なり、フランクフルト市内を歩きました。
10日前のクリスマスムードは一切無く、街はどこかひっそりとしていて、クリスマスマーケットで賑わっていた市庁舎前は、イスラエルのガザ侵攻に対する反戦デモのアナウンスが響いていました。
恐らく日本でも度々報道されているでしょうが、こちらではテレビをつけると、必ずこの件に関するニュース報道を見ます。
今いるオランダもそうですが、ドイツにもイスラム諸国からの移民が多くいます。
ヨーロッパ諸国では非常に関心が高い様です。
しかし、イスラエルにパレスチナ自治区。どちらも自分が数ヶ月前に訪れた所です。
当時はそういった危険は一切感じませんでしたが、やはり情勢が不安定な所なのですね。
感慨に耽りながら、ニュースを見ています。
フランクフルトにて フランクフルトにて フランクフルトにて 


さて、ドイツ旅行も遂に終わってしまいました。
ガーミッシュ・パルテンキルヒェンではドイツの素朴な田舎を満喫し、
ミュンヘンでは7ヶ月ぶりに友達と再会し、
ケルンではまた別のご家族に面倒みて頂き、本当の“クリスマス”を体験し、
スイスを挟んで、フュッセンではルートヴィッヒ2世の夢の居城を見学し、
フランクフルトで年越しを迎え、
ドイツの極一部しか訪れることが出来ませんでしたが、とても充実していました。
ヨーロッパ諸国の中では真面目で神経質というお国柄、どこか日本に似ていると言われるドイツですが、確かに何か親近感のようなものを感じたのも事実です。
またいつか必ず訪れたいと思う国が一つ増えました。グー!



そして、1月4日9:28発のドイツが誇る特急列車ICEに乗って、オランダに入りました。
フランクフルトにて フランクフルトにて フランクフルトにて フランクフルトにて 

向かった先は人口約28万人の都市ユトレヒトです。ウサギのマスコットで有名な“ミッフィー”発祥の地でもあります。
こちらでも、またもや友達の家に居候させてもらっています。アフリカで知り合い、連絡を取り続け、再会を果たしました。
年齢不詳(怖くて聞けません、笑)、推定40歳前のソーシャルワーカーをしている方です。今は病院でのカウンセラーになる為に、学校にも通っている努力家さんです。日中は独りで観光し、夜は彼女の手料理を楽しませてもらってます。
しかし、今朝遂に恐ろしい置き手紙が・・・!?

『おはよう、テツヤ。よく寝れましたか??今日も1日中仕事です。ごめんなさい。
ところで、私思いついたんだけど、もしあなたが今晩の食事作ってくれたら、素敵に違いないわ。
私はあなたが私の料理を楽しんだのと同様、あなたの料理にも好奇心があります。』


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


なんと、恐ろしい手紙でしょう。断れません(笑)。
ということで、慌ててヤフーJapanでレシピを探し、近くのスーパーに走り・・・(笑)、幸運にもスーパーでキッコーマン醤油、味の素、無洗米、味噌をゲットできたので、これから
?美味しい日本米炊き
?ジャガイモ・人参・玉葱・モヤシの味噌汁
?豚野菜炒め
を作ってみるつもりです。
どうなることやら・・・・・・(笑)。
また追ってご報告致します。ということで今日更新予定だったブログはまた暫くお預けでーす。
明日は、また別の町に友達を訪ねる予定です。今後暫くは知人のお宅に居候させて頂く予定なので、次はいつになるのでしょうか??????
それでは厨房へ行ってきまーす汗;

[ 2009/01/09 23:59 ] 旅行道中編~Netherlands | トラックバック(-) | CM(0)
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