--/--  スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

03/13  イグアスの滝 

今はブラジルのフォス・ド・イグアス(Foz do Iguacu)にいます。
昨日一昨日とイグアスの滝をブラジルサイド・アルゼンチンサイドから見に行ってきました。
これで世界3大滝(イグアス・ナイアガラ・ビクトリア)全制覇ですが、イグアスの滝が一番迫力があったかな^^。雨季で水量が多いということありますが。
ブラジル側から見る滝は、アルゼンチン側に比べると迫力に欠けますが、その全貌を眺めることが出来るのが特徴です。対して、アルゼンチン側は一番の見所“悪魔の喉笛”と呼ばれる滝はすぐ近くから眺めることが出来、迫力満点です。

ブラジル側では、スピードボートに乗って滝壺に飛び込むアトラクションを楽しみました。
最初にカートに乗り、その後600m程トレイルを楽しみながら河岸に向かいます。
河岸のボート乗り場はべた凪の穏やかな状態で、滝が近くにあるとは思えません。
イグアスの滝にて イグアスの滝にて 

しかし出発して川を上っていくと徐々に水流は激しくなり、遠くからは轟音と水煙が見え始めました。滝に近づくと、アルゼンチン側からも同じ様なスピードボートが集まってきています。
俺達の前のボートが滝壺に入ります。俺は正直もうちょい大きな滝に突っ込むのかと期待していましたが、まぁ安全面から見れば妥当なサイズでしょう。
イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて 


そして、いよいよ俺達の番^^。カメラなど濡れるとマズイものを乗組員が集めます。
俺のデジカメは耐防水なので、気合い満々で構えます。
徐々に滝が近づいてきます。
イグアスの滝にて イグアスの滝にて 


ザヴァ、ザヴァ、ザヴァ、ザヴァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
イグアスの滝にて 


うっ・うげぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!


甘く見ていた滝、かなり痛い(笑)。
完全に浴びるどころではなく、打たれています。
特に俺は一番前に陣取っていたので滝の一番奥まで入ります。
もう写真どころじゃないっす(笑)。
一度出たかと思うと、もう一度突入^^。



恐らく操縦士はSでしょう。
いやぁでも気持ち良かったです。暑かったのでちょうど良い水浴びになりました^^。
そして、いよいよ遊歩道を歩いて、一番の見所へ。
イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて 



幅4km、滝の総数約300、落差80m。
もう満足^^。写真を見て下さい。
イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて 




昨日はアルゼンチン側へ行きました。こちらも同様に遊歩道を歩いていきます。
途中1992年の洪水で破壊された橋の残骸を見ながら歩くと、見えてきました。
“悪魔の喉笛”と呼ばれる最大の滝が。

イグアスの滝にて イグアスの滝にて 

????????????????????

何じゃこれ・・・・・・


イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて 



本当の“絶景”に出会うと声は出ないもんです。
ただその場で、立ちすくむ。
やっぱり自然の絶景には敵いません(笑)。



その後トレイルをいくつか楽しみ、ハナグマを間近で見たり、いくつか綺麗な景色に遭遇しましたが、最初のインパクトが強過ぎましたね(笑)。
イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて イグアスの滝にて 

アルゼンチン側の国立公園を後にし、最後はアルゼンチン・パラグアイ・ブラジルが一度に見渡せるスポットへ行きました。
写真手前(俺がいる所)がアルゼンチン、左奥がパラグアイ、右奥がブラジルです。

イグアスの滝にて イグアスの滝にて 



さてさて、今日はこれから次の国アルゼンチンに向かいます。
バスの移動予定時間は20時間。日本では考えられないスケール(笑)。南米の大きさを感じてきます!!

スポンサーサイト
[ 2009/03/13 03:19 ] 旅行道中編~Brazil | トラックバック(-) | CM(9)

03/12  サンパウロ 

ブラジリアの後は人口2000万人の南米最大都市サンパウロに行きました。
旅行者の間では、大した見所がないと言われているこの都市に足を運んだ理由は唯一つ。
日本人移民が多く住む東洋街を訪れることでした。
世界にはサンパウロとLAにだけ大きな日本人コミュニティーがあるそうです。
リベルタージ(東洋街)にある超・超・超有名な日本人宿に泊まりながら、特に観光するわけでもなく、海外にある“日本”を満喫していました。
スーパーに行けば、ここはセイフウか丸正か、はたまた西友かと思わせる見事な品数に興奮し、惣菜コーナーに行けばお寿司だ、おにぎりだ、唐揚げだ、と嬉し泣き(笑)。
夕方にはどんどん値が下がるあたりも変わりません。
通りにはアジア系の顔立ちの人が多く、しかも日本語を喋ってる!!
いやぁ、毎日日本食食べていました^^。


また、日本人会館にある移民史料館は見応えがありました。
1908年、笠戸丸に乗って791人の日本人が初めて南米に足を踏み入れてから100年ちょっと。今では130万人にもなる日系人の先人達の苦難と努力の歴史があり、感慨深いものがありました。
そして、サンパウロの飲み屋で偶然話したブラジル人に言われた言葉。
『ブラジルの奥地を開拓して、食物を作ったり、整地したりしたのは日本人が多い。日本人はとにかく真面目で、一生懸命だ。俺は日本人に感謝している。』
日系人がブラジルの発展に多大に貢献していることは聞いていましたが、こうやって見ず知らずの人に実際に言われると嬉しいですね^^。
同じ建物にある図書館に行くと、三鷹市の公民館ばりに、お爺ちゃん・お婆ちゃんが皆さん日本の本を読んでいました。受付のおじさんもブラジル生まれの2世で、
『日本では10年間働いたけど、こっちに帰ってきたよ。こちらの生活の方が馴染むからね。』
と言っていましたが、俺の親父と同じ位の歳のおじさんにそう言われた時は、何かショックでした。
顔も同じ言葉も同じ、なのに、人生のバックグランドはここまで違う。
分かっているんだけれども、何か複雑な心境でした。
でもこうやって元気に逞しく生きている日系人の方々にお会いできて、とても良かったです。

図書館では、もう1つ思い出があります。
俺はパソコンを使っている時、延長コードをお借りしていたのですが、1人のおじさんが俺の所に来て、
『ここはお年寄りが多いんだから、コードは危ない。もし足に引っ掛かったらどうするんだ。』
と注意しに来ました。この歳で全く知らない人に突然叱られ、最初はびっくりしましたが、その後受付の人に、
『あれは危ない。もっと周りの人に気を遣わなくちゃいかん。最近の若者はこうなのかね。』
と言っている後ろ姿を見て、
“あぁ、これが昔のお父さん達だったのかなぁ。”
と妙に感動してしまいました。この歳になると、なかなかその様に言ってくれる人っていないですよね。
以前何かで海外の日系人の人達のことを、“日本に住む日本人以上に日本の心を持っている”と書いてあるのを読んだことがありますが、確かにこうした昔気質な気質は日本ではもう見られ難いかもしれませんね。

あとサンパウロの思い出としては、同じく今世界一周中の俺の親友の彼女さん達と会ったことです。
去年の年末に日本を出発し、東周りで一周中なのですが、西周りの俺と偶然にもサンパウロで1日だけリンクしたんです。まさか、ブラジルのサンパウロで会うことになるとは思ってもみなかったので、久しぶりの再会に盛り上がりました!!
その晩は、ちゃんこ屋さんで飲み(笑)。
そして翌日空港まで見送ったんですが、帰り道なんだか久しぶりに孤独を感じて、センチな気分になってしまいました^^;。
今頃はアフリカでキャンプ生活。
気をつけて安全な旅を!!次は、日本で会いましょう!!


そんなこんなんでゆったりと“日本”満喫したサンパウロでした。ということで、あまり写真撮っていません(笑)。ごめんちゃい!!
次はイグアスの滝の壮大な写真をupdateするので、お楽しみに^^。

[ 2009/03/12 20:16 ] 旅行道中編~Brazil | トラックバック(-) | CM(0)

03/11  ブラジリアの家族 

サルバドールを3月1日に発ち、首都ブラジリアには3泊滞在しました。
ブラジリアは1国の首都としては歴史が非常に新しく、1960年にリオ・デ・ジャネイロに代わってブラジルの首都になりました。上空から見たその都市は飛行機の形をしており、胴体機首部には大統領府や国会議事堂、各省庁、両翼部分は住宅地になっています。
当時の大統領クビチェック氏のユートピア構想をもとに、国連ビルを設計したブラジルを代表する2人の建築家が計画した人工都市。機首部分の先には人造湖まであり、正直こんな首都は他には無いでしょう。

ブラジリアの街の模型。
ブラジリアにて 

国会議事堂
ブラジリアにて 

中でハイモンドジュニオールと弟のルーカス^^
ブラジリアにて 

各省庁ビルが並びます。
ブラジリアにて 

大統領の執務館(住居は別)
ブラジリアにて 

テレビ塔から見た、ブラジリアの町。
ブラジリアにて ブラジリアにて ブラジリアにて 

メトロポリタン・カテドラル。ヨーロッパで見てきた教会とは全く違いますね。
ブラジリアにて ブラジリアにて ブラジリアにて ブラジリアにて 

ドンボスコ聖堂
ブラジリアにて ブラジリアにて 

家の近くにあったお寺。去年、皇太子殿下も訪れたそうです。
ブラジリアにて 


しかし、ブラジリアを訪れた一番の理由は、エジプトで出会ったブラジル人の友達に会うことでした。ルクソールで同じ宿に泊まっていたことから話すようになり、その後もなんとなく連絡を取っていました。俺がブラジルに入ると、『あそこが良い、ここが良い。』と色々情報を送ってくれたり、わざわざウェブサイトで調べてくれたり、とにかく親切な良い奴です。
空港の到着ゲートを出ると懐かしい顔^^。そして弟君とお父さんまでわざわざ迎えに来てくれていました。
俺は市中心部の宿に泊るつもりだったのですが、そのまま家に招待していただき結局3泊お邪魔させて頂きました。

ご両親も弟君も本当に良い人達で、本当に楽しかったです。
ご両親は全く英語が話せず、俺もポルトガル語が全く出来なかったので、コミュニケーションが大変でしたが、表情や態度から温かいホスピタリティーを感じ、本当に気持ちよく過ごすことができました。
日中友達が仕事に行くと彼の家族が気を遣って下さって、お父さんと2人で弟君の学校の送り迎えをしたり、お母さんと買い物や散歩に行きました。
もちろんブラジリアの観光もしましたが、普通の旅行では見られないブラジル人のごくごく普通の生活を体験できたことがとても印象に残っています。
彼も忙しい仕事の合間を縫って色々観光に連れていってくれましたし、念願のブラジル版BBQレストラン、シュハスカリアにも行きました^^。

そして、最後の晩はこの旅恒例になりつつある“日本食レストランご招待”。
ブラジリアにはかなりの数の日本食レストランがあり、日本食はとても人気があるそうです。実際いくつか回りましたが、どこも大盛況でした。
彼らにとって初めての日本食。みんな恐る恐るぎこちない手つきで箸を伸ばしていましたが、やっぱり生魚は抵抗あるようでした(笑)。
友達だけ果敢に挑戦し、とても気に入った様子で、何度も注文していましたね^^。


心が同じ温度の人との別れというのは辛いものです。
わずか3泊でしたが、涙ぐむお父さんとがっちりハグをして、別れの挨拶をした時こみ上げるものがありました。
なんというのかな、正直この旅では多くの人々と出会いますが、いくら口が達者でも、いくら長い時間をすごしていても、心にあまり残らない出会いもあります。
逆に数少ない会話やわずかな時間だけでも、なんだか親近感を感じたり、それ以上に距離を近く感じる出会いもあります。
不思議なものですね。
彼の両親は全く英語が喋れませんが、会話が無くても、もう一緒にいるだけでひしひしとその優しさが伝わってくるんです。
う~ん、うまく説明できません・・・。これ以上書くのやめておきます。

別れの時はしんどかったです。
それだけ俺にとって心に響いた、とても濃い時間だったんだなぁと思います。
また一つ忘れられない思い出、出会いがありました。
有難う、ハイモンド、オデチ、ハイモンド・ジュニオール、ルーカス^^!!!!!!!
ブラジリアにて ブラジリアにて ブラジリアにて 
俺何やってんだ!! ↑↑↑
[ 2009/03/11 08:40 ] 旅行道中編~Brazil | トラックバック(-) | CM(2)

03/01  サルバドールのサーファーと日本食レストラン 

サルバドールは美しい海で有名です。
昨日はその中でも人が少なく、特に綺麗だと言われているフラメンゴビーチへ行きました。町からバスで1時間程離れているのでそこまで人が行かないそうです。週末ならローカルで賑わうそうですが、金曜日だったので、町中のビーチよりかは空いていました。そして、水の透明度も格段に上がりました。町中はタンカーや漁船等が往来するので汚れてしまうそうです。
サルバドールにて サルバドールにて 

ビーチ沿いにはBARが立ち並び、ビーチを歩いていると見事な食い込みハイレグ・後ろTバックのビキニ女性とたくさんすれ違います。その都度その都度、サングラスの下からエロエロ視線を投げかけながら歩いていると、そのうちお客さんの全くいないBARがありました。
サルバドールにて 

俺は人ごみや騒がしいところがあまり得意ではないので、その空きっぷりに惹かれて入っていくと、一人ローカルのサーファーがいました。
ビールを注文し飲んでいると、そのサーファーが話しかけてきました。
レイナルドという彼は、理学療法士として働いていて、昼休みに毎日サーフィンしに海に来ているそうです。
『ここはブラジルでも最も美しいビーチの一つだよ。波も最高に良いし、文句ないね。』
サルバドール市内で生まれ育ったそうですが、環境と海を求めてこちらに移動してきたとのことでした。
そして、何故か日本とりわけ日本食を絶賛し、毎日日本食レストランに行くと言っていました。こんな町はずれのビーチに日本食レストラン、しかも彼が言うには日本人が経営しているというレストランが本当にあるのか疑い半分でしたが、彼が1時間ほどサーフィンを楽しみ、これからそのレストランに行くというので、興味本位で連れて行ってもらうことにしました。

車で10分程で着いたレストラン名は、“テンプラ”。
海外では日本食人気もあり、結構平然と韓国人や中国人が日本食レストランを経営していることはよくあります。俺ら日本人からすると、“本当の”味ではありませんが、日本食を知らない外人さんにはうけています。パリでも最近不況の韓国レストランや中華レストランが経営者変わらずに日本食レストランに変わることもあるそうです(笑)。
そんなこともあるので、半信半疑で店内に入ると壁にはいくつもの富士山の写真が飾られ、東洋人の女性がいました。レイナルドがその女性にポルトガル語で何か話すと、
『日本の方ですか?よくまぁ、いらっしゃいましたね。』
と笑顔で完璧な日本語(笑)。俺もなんだか嬉しくなり、ついついその女性と飯前に立ち話に花を咲かせてしまいました。すると、娘さんらしき人が来て、
『お母さん。お客さんお腹減ってるんだから、そんな話したら可哀そうでしょう。』
(笑)。

当たり前だけど、日本人だぁ!!

そしてなおもお母さんは続けて、
『あの方(レイナルド)は本当によく来て下さるんですよ。ほとんど毎日です^^。』


“疑ってすまん、レイナルド!!”


心の中で彼に謝りながら(笑)、彼は本当に親切にしてくれたナイスガイなのでここはお御馳走しようと、お母さんに2人分の勘定をお願いすると、
『今日はいいですよ。せっかく来て下さったのですから、今日は私のおごりです^^。』



農民号泣、ToT、ToT、ToT、ToT、ToT、ToT。
(すいません、内輪ネタです、笑)



レイナルドも驚きながらも、喜んでいました。
彼は日本の指圧なども勉強しているらしく、とにかく日本や東洋に関して興味があるらしく次々に質問されました。そして、やっぱり宗教のことも(笑)。
言っておきましたよ。
『俺は武士道だっ!!』
って。そしたら、武士道って何かと逆に色々聞かれ説明が大変でしたが(笑)。

彼は理学療法士なので、
『私の相手はみなどこか体の調子が悪い人達ばかりです。なので、私自身が体調が悪いといけません。常に自分の体調には気をつけています。日本食は本当に私にグッド・エナジーをくれます。サーフィンをして、心も体もリラックスして、その後に日本食を食べる。これが私の健康維持法なのです。私は自分のQOL(Quolity of Life:生活の質)を大切にしています。自分自身がまず身体的にも精神的にも健康でなければなりません。お金や物質的なことは二の次です。』

また彼は自分で開業しながら、サルバドールの大学で教師もしているそうでブラジルの中では比較的裕福な方でしょうが、
『日本は凄く興味があって行ってみたいけど、遠くて物価もとても高い・・・。厳しいでしょう。私の夢はいつかハワイに行って、サーフィンをすることです。ハワイならそこまで遠くないし、僕にとって憧れの場所なんです。いつの日か行けるといいね。』
と言っていました。

有難いことに日本のことをとても良く言ってくれましたが、俺から見ると、毎日昼休みにサルバドールの綺麗な海で好きなサーフィンを楽しみ、ゆったりとした時間の中で生きているレイナルドの方がよっぽど“豊か”な生活なんじゃないかな、と感じました。
日本はとにかく海外からは裕福な国として羨ましがられますが、果たして“裕福”とは何でしょう。


また、その日本食レストランを経営している女性は40数年前、11歳の時に福岡から家族と共にドミニカに移住し、その後ブラジルに移り住んだそうです。
『時々日本には帰られているんですか??』
と聞くと、
『いえいえ、とてもとても。全く帰っていません。』


それ以上は聞けませんでした。


小学生の時に突然ドミニカという全く知らない国に移り住み、その後ブラジル。
今のレストラン経営が軌道に乗るまでには、数知れない苦労があったでしょう。


壁に何枚も飾られた“無言の”富士山の写真だけで、十分です。


こうやって日本から遥か遠い国で、両足を地面にしっかりついて生きている日本人もいる。


それぞれの地で、長い間で育まれてきた、それぞれの生き方。


そこに良し悪しはなく、比較できないものだとは思いますが、本当に世界には多様な生き方・人生がありますね。


最後はBARのおじさん、レイナルド、そして日本食レストランの方と。
サルバドールにて サルバドールにて サルバドールにて 

[ 2009/03/01 09:19 ] 旅行道中編~Brazil | トラックバック(-) | CM(2)

03/01  アフロ・ブラジリアンの町 

今はサルバドールという町にいます。サルバドールといってもピンとこない人も多いと思いますが、ブラジルの格闘技“カポエイラ”発祥の地と言えば、これを読んでくれている一部の人にはピンとくるはずです(笑)。あだっちゃんの憧れの地(笑)??

さて、サルバドールは他のブラジル各地とは違った顔・雰囲気があります。
16世紀から18世紀にかけてポルトガル領の首都であったこの町には、当時の主産業であった砂糖産業の農園労働力の為にアフリカから多くの奴隷が連れてこられました。
その為、彼らが持ち込んだアフリカの食生活・宗教・踊りといった生活様式や文化が長い年月をかけこの地に溶け込み、独自の“アフロ・ブラジリアン文化”を形成しています。
今でも人口の約80%が黒人或いは黒人とインディヘナの混血で構成されています。

世界遺産に登録されている旧市街地は石畳の道が今でも残り、カラフルなカラーの家々が青い海と共に自然と陽気な雰囲気を醸し出しています。

リオ・ブランコ宮殿とトメ・ジ・ソウザ広場。
サルバドールにて サルバドールにて 

トメ・ジ・ソウザ広場にあるラセルダ(エレベーター)は下町と上町を結んでいる名物で、上町からはサルバドールの港が一望できます。目の前には民芸品市場であるメルカード・モデロがあります。
ここでは、毎日カポエイラの実演もあります。
見学は自由ですが、写真を撮ると凄まれ寄付を求められるそうです。まぁ、テレビで見たまんまですね。演奏に合わせて、2人が絡みながら動き回る。格闘技というか踊り・舞踊の要素が強いですね。必ず音楽がありますし。酔拳とは全く違いますが、同じ様なジャンルに感じました。しかし、ガタイは良かったです^^。
サルバドールにて サルバドールにて 

下町の景色。
サルバドールにて 

旧市街の中心、セ広場とジェズス広場。広場にはバイーア州の民族衣装を着たおばちゃんもいました。こちらも観察していると寄付攻撃の嵐。笑顔で写真を撮らせた後に、結構しつこくねだっていました。写真を撮った欧米人は渋々払っていました(笑)。

サルバドールにて サルバドールにて サルバドールにて 

旧市街にあるオルデン・テルセイラ・ジ・サン・フランシスコ教会に行ってみました。
内部の回廊にはポルトガルから持ち込まれた美しいタイル画がありました。
サルバドールにて サルバドールにて サルバドールにて サルバドールにて 

ジェズス広場とその後ろにはバジリカ大寺院が見えます。
サルバドールにて サルバドールにて サルバドールにて 

ジェズス広場からペロウリーニョ広場に向かう道は両側にお土産屋が軒を連ね賑やかでした。やっぱりアフリカで見た絵にどことなく似ています。俺はアフリカの民芸品が好きなので、ここでも買いたい衝動に駆られましたが、我慢我慢(笑)。
サルバドールにて サルバドールにて 

途中韓国のテレビ局の撮影に遭遇しました。
サルバドールにて 

ペロウリーニョ広場では昨日で終了したカーニバルの舞台が残っていて、みんな記念撮影(笑)。
サルバドールにて 

ペロウリーニョ広場前にあるホザーリオ・ドス・プレートス教会は、当時奴隷だった黒人の人々が自力で建てた黒人による黒人のための教会で、今でも黒人だけの修道会によって経営・管理されています。
内部は一般的な教会の様な華やかさはありませんが、それ故に一層アフリカから奴隷として無理やり連れてこられた彼らの身上を物語っている様に感じられ、なんだか複雑な気持ちでした。サルバドールには黒人奴隷がアフリカの土着宗教を持ち込み発展した、“カンドンブレ”という宗教がありますが、一部の人はこの様にキリスト教に改宗したのでしょう。自分達を奴隷として連れてきた人々の宗教に希望を見出そうとする彼ら。
・・・、何とも言えません・・・。
教会の一番奥には、当時白人にうとまれ猿轡をはめられて亡くなった黒人女性アナスタシアのお墓もありました。
サルバドールにて サルバドールにて サルバドールにて 


正直なところ、この青いパステルカラーの外観が印象的な教会はサルバドールの青い空、青い海、カラフルな家々の美しさよりも印象に残っています。


[ 2009/03/01 03:37 ] 旅行道中編~Brazil | トラックバック(-) | CM(0)
プロフィール

ぽちゃムキン

Author:ぽちゃムキン
こちらをどうぞ~

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
訪問者数
今現在見てる人
現在の閲覧者数:
星が見える名言集100
今日はどんな日?
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。