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05/16  マチュピチュです!! 

16世紀スペイン軍は南米を次々と攻略し、当時一大帝国を築き上げていたインカ帝国もその標的となりました。インカ軍は徐々にジャングルの奥地へと追いやられ、秘密基地ビルカバンバに立て篭もり抵抗続けますが、遂に1532年皇帝アタワルパが捕えられ処刑され、インカ帝国は終焉の時を迎えます。
その後、スペイン軍はビルカバンバの眠る財宝を求めて捜索しましたが、結局発見されることなくいつしか“伝説の都市”と呼ばれるようになります。

それから400年の時を経た1911年。
『非常に高い山の頂にあり、精巧な技術で建造された壮大な建物が聳え立つ。』
という僅かなヒントをもとに、ハイラム・ビンガムという一人の考古学者が“空中都市”“失われた都市”マチュピチュを発見し、眠れる都市は現世に蘇りました。

今ではビルカバンバは別の遺跡であるというのが定説になっていますが、インカの都市がスペイン軍によってことごとく破壊された中、この空中都市は断崖と切り立った山々に囲まれた立地条件故に、スペイン軍に発見さることなくほぼ無傷の状態で残った為、貴重な歴史的建造物としてその価値は高く評価されています。
ビンガムが発見した当時は、数百年の歳月によって草に埋もれた廃墟と化していたそうです。




マチュピチュまでは、クスコ近郊のポロイ駅から電車で3時間強の所にあるマチュピチュ村から更にバスで30分程くねくねとした急な山道を登った所にあります。
マチュピチュにて マチュピチュにて マチュピチュにて マチュピチュにて マチュピチュにて 

俺はマチュピチュ村に1泊し、朝5時半発の始発のシャトルバスで遺跡に向かいました。
マチュピチュ(老いた峰)に相対するワイナピチュ(若い峰)に登る為です。
ワイナピチュは断崖絶壁の山の為、毎年転落事故があり、その為1日400人までしか入山することが出来ません。
ちなみに、ワイナピチュとはあの超超有名なマチュピチュの写真の後ろに聳える山です。
マチュピチュにて 


6時の開門と同時に一目散にワイナピチュの山道入口に向かい、3番目で登山開始。急な上り坂を休むことなく、急いで登ります。
俺は標高4000m以上のボリビアから徐々に高度を落としてきた為、そこまでキツくありませんでした。
息切れしまくりの前の2人をサクッと追い越し、後は独走状態。
他の追従を許さず20分程で山頂に到着。



ワイナピチュ、この日1番乗り!!!!!!!!!



目標達成です^^。山頂は岩が剥き出しの小さなスペースしかなく、数人でいっぱいになる広さ。
誰もいない静かな環境でマチュピチュの絶景を独り占め・・・したかったのですが、残念ながら朝靄で完全な姿は見えず(ToT)。
でも朝靄の中、ボンヤリと見えるマチュピチュも最高でした。
マチュピチュまでのバスルート、“ハイラム・ビンガム・ロード”も見えます。周りは奥深いジャングルですね。
マチュピチュにて マチュピチュにて 
マチュピチュにて マチュピチュにて マチュピチュにて 
マチュピチュにて 


そして、ワイナピチュから下りた後は、マチュピチュ観光。
この写真ですよね!!!いつも見るの!!!
後ろに見えるのが、ワイナピチュです。
やっぱり感動しちゃいました。そしていつものお決まりポーズで^^。
マチュピチュにて マチュピチュにて マチュピチュにて 


遺跡は大勢の観光客がいるものの、遺跡が広大なのでノンビリとした雰囲気です。すぐそばにはリャマがいます。そしてその近くには、当時儀式の際に生贄のリャマを繋いでおく巨石がありました。よく見ると写真左側にロープを結ぶ穴があります。
マチュピチュにて マチュピチュにて 


市街地への入り口の門をくぐると岩切り場があり、その奥には“3つの窓の神殿”、“主神殿”があります。
インカ発祥の2大伝説のうち、1つはこの3つの穴から8人兄弟が湧き出し、そのうちの1人が初代皇帝マンコ・カパックだったというものです。ちなみにもう1つの説は、以前書いた様に、ティティカカ湖の太陽の島にマンコ・カパックが降り立ったとされるものです。
いずれにせよ綿密な計画に基づいて築かれており、当時重要な場所だったと考えられています。
マチュピチュにて マチュピチュにて マチュピチュにて 


“神聖な広場”には“インティワタナ”と呼ばれる高さ1.8mの日時計があります。
マチュピチュの中でも最も高い場所にあり、石の角柱の対角線を冬至に太陽が通過し、各角は東西南北を指していることから、太陽暦を使用していたインカでは、『太陽神の礼拝所ではないか。』というのが有力だそうです。
マチュピチュにて 

また、この広場のすぐ脇に広がる急峻な段々畑をハイラム・ビンガムら一行は登ってきたそうです。
凄ぇぇ(笑)、よく頑張りましたビンガムさん^^。
マチュピチュにて 




そして適当に遺跡内を歩いていると、観光客が群がる一角が。
みんな大盛りあがりです。
近づいて見てみると・・・・、
マチュピチュにて 



・・・・・・・・・!!!!!!!!!!!



マチュピチュにて 



・・・・・・・・・・・・・・(笑)。



マチュピチュにて 
コラコラァkao02


“失われた空中都市・マチュピチュ”。
さすが、全世界から観光客が押し寄せるだけのことはあります^^。

マチュピチュにて

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[ 2009/05/16 13:36 ] 旅行道中編~Peru | トラックバック(-) | CM(4)

05/16  インカの聖なる谷、“Valle Sagrado de Los Incas” 

クスコ近郊には、“マチュピチュ”や“インカの聖なる谷”に代表されるインカ時代の遺跡が点在しています。
マチュピチュを除く主な遺跡を2日かけて見てきました。

まずは、“サクサイワマン”。
こちらは毎年6月下旬に行われる“太陽の祭りインティ・ライミ”で有名な遺跡です。
この祭りは、リオのカーニバル、オルーロのカーニバルと共に、南米3大祭りと言われ、インカの儀式がそのままに再現されるものです。
当時皇帝は毎年この時期に、7日間の絶食で身を清めた後、神聖な神殿ワカに於いて、その年に収穫されたトウモロコシで作られたチチャと呼ばれるお酒を感謝の印として太陽に捧げました。お祭りが開催される月は、‘休息の月’とされ、人々は1年の疲れを癒し、飲んだり踊ったりして過ごしたそうです。
広大な広場に所々草木で覆われた3層の石組みがありますが、丘の上にあるこの場所にどうやって巨石を運んだのでしょう。インカは本当にミステリアスな文化です。
遺跡からは、赤レンガの屋根が広がるクスコの町並が見えました。
クスコにて クスコにて クスコにて 


続いて、“プカ・プカラ”。
こちらは当時、不審者の侵入を防ぐ為の見晴らし台だったそうです。
説明が無いとわからないですね。
クスコにて 


“タンボ・マチャイ”は当時の沐浴所。
水はどこから運ばれてきているのか今でも謎なのだそうです。以前、色々な場所で色素を流し、出所を探ろうとしたのですが、解明できなかったそうです。
クスコにて 


クスコから30km、ピサックの村はリャマも寛ぐ小さな村です。
村は谷底に広がっていますが、急斜面を登ると“ピサックの遺跡”がでてきます。
段々畑、見張り台、神殿跡もあり、当時は比較的多くの人々が暮らしていたのでしょう。
クスコにて クスコにて クスコにて クスコにて クスコにて クスコにて 


“オリャンタイタンボ”は、インカ時代の宿或いは要塞跡と考えられています。
対岸の山には、見張り台や穀物倉庫跡が見えます。
当時のインカ帝国は車という概念がなく、車輪の無い文明だったと考えられていますが、ここも他の遺跡同様、どの様にして岩を運んだのかわかっていません。非常にミステリアスですね。
クスコにて クスコにて 

そして次は、いよいよマチュピチュです!!!

[ 2009/05/16 10:52 ] 旅行道中編~Peru | トラックバック(-) | CM(2)

05/16  インカの石組み 

クスコの町は、町自体が世界遺産です。
かつてインカ帝国の首都として繁栄した過去を持ち、スペインに征服されて以降は、町はインカの古い石組とコロニアルな建物が混在する不思議な景観を造っています。

メインスクエアのアルマス広場。中央の広場を囲む様にして、カテドラルやラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会といった重厚な建造物があります。
南米の多くの町は、まず中心となる広場があり、その近くには必ず教会があります。これは、教会を中心に町造りをしていったスペイン統治時代の影響ですが、スペインが侵略してくる前のインカ帝国でも同じように広場から町造りをしていったそうです。
その為、昔この広場には金銀でできた像がいくつも建っていたそうで、カテドラルの場所にはインカ時代のピラコチャ神殿、ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会の場所には第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があったそうです。
クスコにて クスコにて クスコにて クスコにて クスコにて 


しかし、スペインようやりますわ・・・(笑)。
ことごとく、征服した場所の歴史破壊を敢行なさっています。
他の南米の都市も然り、本国グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータも然り。
スペインで豚がよく食べられるのは、イスラム勢力をイベリア半島から追い出したスペイン女王が、その勝利を誇示する為に、イスラム教のご法度である“豚食”を奨励したことが始まりだとか。
本当に腹立ちますわ。はぁ・・・・・・・。


いかん、いかん。気分転換。
最近の少なからず沸き起こる、自己至上主義の西欧思考に対する俺の反感は、どうにかせないけませんなぁ・・・(笑)。
でも本当にエゲツないんですもん。



何はともあれ、クスコに残るインカの石組みは素晴らしかったです。
剃刀の刃1枚も通さないと比喩される、その精巧な造りはまさに圧巻。12画、14画の巨大な石が隙間なく積み重ねられているんです。
遥か昔にどうやってこの様な見事な造形ができたんだろう。
クスコにて クスコにて クスコにて クスコにて 



クスコにて 
上の写真はサント・ドミンゴ教会ですが、インカ時代、ここには“太陽の神殿”と呼ばれる、インカの人々にとって重要な神殿があったそうです。スペイン軍による発見当時、外壁には金の帯が施され、内部には金の泉、金の石、等身大の金の人形やリャマ像、金の祭壇など、無数の財宝があったそうです。スペイン人はインカ帝国を滅ぼした後、ここにある金銀をすべて本国に輸送し、その為一度に大量の金が出回った為、スペインではインフレになったという記録があるそうです。
そして彼らは略取した揚句、神殿の上部を破壊して教会を建てたのでした。
しかし、その後クスコを襲った大地震で彼らの造った教会は無残にも崩れ落ちましたが、土台であるインカの石組みはひずみひとつ起こさなかったそうです。
インカの石組は、その外観の美しさもさることながら、耐久性においても非常に優れています。


クスコの町は他の南米の都市に比べ、インディヘナ人口の割合が多く、民族衣装を普段着として身に纏っている人をよく見かけます。
今となってはコロニアルナな建物が多く見られますが、彼らのルーツであるインカの人々がその昔に築き上げた美しい石組みは今でも至る所で土台としてひっそりと残存しています。
クスコにて クスコにて 
[ 2009/05/16 08:52 ] 旅行道中編~Peru | トラックバック(-) | CM(0)

05/15  一瞬の油断が・・・ 

プーノからクスコに向かう夜行バスでこの旅初めての盗難に遭いました。
被害は、€現金、ビデオカメラ、携帯電話、そして記念に集めていた各国の小額紙幣です・・・。

今思い返せば、相当油断していたなと思います。


南米やアフリカでは、強盗やひったくりに遭う確率が、他の地域に比べ高くなります。
世界中どこでもそういったリスクはあるのでしょうが、そういった体験談の数が圧倒的に多くなります。
ペルーやボリビアで有名なのは“唾かけ”といって、わざと唾やケチャップなどをつけておき、親切を装った共犯者が近付き、拭き取る隙に盗むパターンや、“首絞め強盗”といって、その名の通り後ろからチョークスリーパで落としておいて、強奪していくタイプです。
その為、ブラジル・アルゼンチン・チリ、いや今回のプーノまでは、俺は防犯対策として、リュックは超合金ネットで覆い、貴重品は分散させ、パスポート類は腹巻きタイプの貴重品ケースに隠し、カード類は靴下の中に入れたりと、その都度厳重にしていました。

しかし、今回に限って、リュックの中に貴重品袋を入れて足元に置いていたのです。
アフリカを無事旅し、ブラジル~チリを問題なく旅をしてきた自信に加え、ウユニからは旅友が3人いて、団体行動をとっていたということもあると思います。
それにバスはボリビアに比べ、格段と綺麗になったことも俺を大いに安心させた一因でしょう。
バスは立派な2階建てバスで、日本人の女の子は1階のワンランク高い席を購入し、俺とイタリア人ニコは安い2階席を買いました。
2階席は現地の人が多く、席は指定制のものの、南米では当たり前のように行われていた車内改札&身分照会もありませんでしたので、結局どこにでも自由に座れたのでしょう。恐らく犯人は俺のリュックに目星をつけ、後ろに座っていたのでしょう。

席に着くと俺は前の座席下をチェックしました。一つ後ろの席、つまり俺用のリクライニングの足台が収納されていて、ブロック板の様な板が固定されていました。
“これなら、下に置いても後ろから盗られないな。”
それを見て俺は安心し、ちゃんと確認もせず、俺の座席下にリュックを置きました。
バスはプーノを出て、いくつか停まった後は、クスコまでノンストップバスだったので、就寝中にリュックごと持って途中下車することも考え難いのです。

しかし用心深い俺は、念の為チャックは南京錠で閉じ、貴重品袋は奥底に入れ、その上に本やら洋服やらで塞ぎました。
万が一、少しこじ開けられても、手が下まで到達できない様にするためです。

プーノを出発して、ニコと雑談しながらバスが最後の停留所を出たのを確認して、俺は寝ました。
その時点で、リュックは座席下で、リクライニングのフットレスに挟まれ、容易には取り出せない位置でした。但し、後ろ以外から・・・。


午前4時、クスコに到着。
これも今思い返せばなんですが、リュックを取る時、元の位置より少し後ろに移動していたんです。
しかしその時点では、
“あれ??”
と思ったものの、寝ぼけていたし、振動で後ろに移動したのかなぐらいにしか思わず、全く考えませんでした。


そして、宿に着いて鍵を開けて・・・・、


やられた・・・・・・。



奥底にあったはずの貴重品袋が口が空いたまま、一番上にありました。


まさか、この俺が????

なんとなく、“俺は大丈夫だ。”という根拠のない自信があったので、盗まれたことに非常にショックを受けました。


まさか、この俺が・・・・・・・。


不幸中の幸いは、一緒にあったパスポートとクレジットカードは残っていたことですが、相当ショックでした。
(現時点では、カードも不正使用なく、無事です。)



時々旅人から俺の余りの厳重っぷりに、苦笑いされることもありましたが、こうやって一度被害に遭ってしまうと、疑いたくなくても人を疑ってしまったり、懐疑心で見てしまったり、と良いことはありません。


『備えあれば憂いなし。』



被害者だからこそ言えること。


決して、現地の人を疑うからではなく、


旅を楽しく過ごす為に、


防犯を心掛けることを、


アドバイスします。




超重要なおまけ!!!!!下読んでね^^。
[ 2009/05/15 09:05 ] 旅行道中編~Peru | トラックバック(-) | CM(1)

05/15  浮き島“ウロス島”と“タキーレ島” 

コパカバーナからペルーのプーノにやってきました。
ここもティティカカ湖畔の小さな町ですが、ボリビアのコパカバーナと同じく、インカ初代皇帝マンコ・カパックの天神降臨の地として重要な場所です。
そして、プーノから船で30分ほどのウロス島は、島自体がトトラというティティカカ湖に自生する植物を編んで作った浮き島です。
プーノの港から30分ほどで、ウロス島に着きました。
『おぉぉ!!!!、テレビで見たことある!!!!!』
と、ちょっと興奮^^。
IMGP2732 IMGP2733 プーノにて 

上陸すると、確かに足場は柔らかい。
徐々に水に浸かってくれば、その上に新しいトトラを重ねるだけのシンプルな構造です。
島ではこれまたカラフルな民族衣装に身を包んだ原住民の人達が出迎えてくれました。ガイドさんが、島の構造や歴史等を簡単に説明してくれた後は暫しの自由時間。
観光客は一斉にそれぞれ手を引かれ、家々に連れて行かれます。そして、民族衣装を着させて貰い写真撮影^^。もちろんその後は、洋服の即販コーナーへ(笑)。買っちゃいました。
IMGP2735 IMGP2736 IMGP2737 プーノにて 

島の村長さんと一緒に。ノリノリの陽気なボスでした。
その後、希望者はトトラ船のクルーズへ。俺は島に残り、村人と戯れました。
プーノにて プーノにて プーノにて 

一仕事終えて、くつろぐメンズ^^。
プーノにて 


ウロス島の後は、タキーレ島。2時間程のクルーズは爽快そのもの。
上のデッキで、みんなで日向ぼっこ。
しかし、ここが富士山より高いとは信じられません。
プーノにて プーノにて 

タキーレ島は、電気も水道もない自給自足の島。ウロス島が観光地化されているの対し、タキーレ島は一部は観光地であるものの、島の大半は今でも昔ながらの生活様式を保った人々が住んでいます。メインスクエアーではお祭りの様な催し物がありましたが、この島の魅力は雄大な時の流れを感じさせる“風景”につきるでしょう^^。
プーノにて プーノにて プーノにて プーノにて プーノにて プーノにて プーノにて 

青々としたティティカカ湖は本当に綺麗でした。
大満足な1日ツアー。
そしてこの晩に、この旅初めてのトラブルが起こったのです。続く。
[ 2009/05/15 06:27 ] 旅行道中編~Peru | トラックバック(-) | CM(0)
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