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10/30  ペロポネソス半島巡り 其の壱 

そして、28日からはレンタカーを借りてペロポネソス半島の旅に出ております。
車は左ハンドルにマニュアル、道は右側通行ということで、日本とは完全に違い、慣れるまで少し時間かかりました。こちら相棒のHyundai Potyamukin君です。
コリントスにて コリントスにて 

ペロポネソス半島は、オリンピア・スパルタ・ミケーネ等ギリシャ史上重要な遺跡が幾つもあり、また交通機関があまり発達していない為、“ギリシャの偉大なる田舎”と呼ばれています。
IMGP8012 IMGP8011 

昨日はコリントス、ミケーネ、ナフプリオン、エピダヴロスを回りました。

現代のコリントスは、ペロポネソス半島の付け根にある港町ですが、古代コリントスはより内陸にあります。紀元前7世紀頃最盛期を迎え商工業、海上貿易で繁栄したそうですが、今の遺跡はアクロコリントス山の中腹に静かにありました。
正直何か解説がないと、アポロン神殿を除き、単なる巨大な石ころが転がっているだけという、ギリシャ遺跡に多いパターンなので(笑)、今回は神話や歴史をご紹介しながらいきましょう。

まずは入り口を入ってすぐの、“グラウケの泉”。
その昔、魔力を持つコルキスの王女メディアは英雄イアソンに惚れ込み、魔術を使って彼と結婚しました。その後二人は、彼の故郷を追われコリントスに落ち延びましたが、そこでイアソンはコリントス王クレオンから娘グラウケとの結婚と王位継承を提案され、あっさりと受諾。メディアを捨てました。怒ったメディアはグラウケの花嫁衣裳に毒を塗り、これを着た彼女は火達磨になり、助けようとした父クレオンと共に亡くなります。そしてこの時、グラウケがあまりの熱さで飛び込んだとされる泉が“グラウケの泉”です。
恐るべし、ギリシャ神話(笑)。結構残酷な話多いんですよ。
しかし、そんな経緯しらないと、本当にあっさり通過してしまいそうな遺跡です^^;。
コリントスにて


続いて一番の目玉、“アポロン神殿”。
ちなみにアポロンは、学問・医術・武術・芸術等様々な分野の守護神で、スポーツも万能ですが、何故か失恋ばかりしているという残念な神様です^^。英名、アポロ。
紀元前6世紀に建てられたドリア式の神殿で、今は列柱が7本残っているだけですが、当時は38本あったそうです。
コリントスにて


こちらは“ピレーネの泉”。
河神アソーボスの娘ピレーネは海神ポセイドンと交わり、二人の子を産んだが、どちらも悲惨な死を遂げた為、悲しみのあまり泣き続け、遂には自分の涙で体が溶けてしまったそうです。
その時できた泉が“ピレーネの泉”。
こちらもブルーな内容(笑)。
コリントスにて


かつての町に中心部“アゴラ”とその脇にある“レカイオン通り”。
広場は競技場としても使用されていたそうで、写真手前に見えるのが、当時のスタートラインです。
コリントスにて コリントスにて 

博物館には遺跡がゴロゴロありました。こんな扱いでいいの(笑)??
コリントスにて





続いて、ミケーネ遺跡
アルゴス平野が開け、イリアス山とザラ山の合間の小高い丘にある遺跡で、かつては『黄金に富むミケーネ』といわれたミケーネ文明の遺跡です。
前回、アテネの考古学博物館の項でいくつか黄金のマスクをご紹介しましたが、ここから発掘されました。
また、神話を信じたドイツ人考古学者シュリーマンによって発掘され、神話が事実であることが証明されたロマンの場でもあります。

まずは“アイギストスの墓”と“クリュタイムネストラの墓”。
ミケーネにて ミケーネにて 

ミケーネ遺跡を説明する上で、英雄アガメムノンの話を避けては通れません。
神話によると、スパルタの王妃を誘惑したトロイア王に激怒したギリシャ連合軍は、かの有名なトロイア戦争で10年かけてトロイアを滅ぼします。その時のギリシャ軍の総大将がアガメムノンでした。
彼は出陣の時誤って女神アルテミスの聖域で聖獣を殺してしまった為、女神の怒りを買い、指示通りに長女イフィゲニアを生贄として捧げました。これに激怒したのが妻クリュタイムネストラです。
復讐を誓う彼女は辛抱強く彼の帰りを待ち、10年後トロイア戦争に勝利し、トロイア王女カッサンドラを妾として連れ帰ってきたアガメムノンを、愛人でもありアガメムノンの従兄弟でもあるアイギストスと結託して殺害します。
二人はアガメムノン殺害の張本人ですが、アガメムノンを裏切った為にその墓は城内には造られず、場外に造られたそうです。悲惨なことにその二人も、アガメムノンの次女エレクトラとその弟オレステスによって父殺害の報復として殺されたのでした。


二人の墓を横に見ながら、さらに坂道を登っていくと、ミケーネの象徴“獅子の門”が見えてきます。大きな三角形の石に彫られた獅子は紀元前15世紀頃に造られたそうなので、約3500年前の作品です。
ミケーネにて ミケーネにて 

“獅子の門”をくぐり城内に入ると、右手にはあの“アガメムノンの黄金マスク”他数多くの金装飾品が発見された“円形墓地A”があります。
ミケーネにて


急な坂を登りきると、かつての王宮跡がありますが、ここは石コロだけで、当時の面影は無し(笑)。
しかし、そこからの景色は美しい!!眼下にはアルゴス平野が広がります。
‘地球って素晴らしい!!’ポーズ。
ミケーネにて ミケーネにて 





ミケーネ遺跡の次は、人口1万2千人の港町ナフプリオン
19世紀前半にはギリシャの首都となり、トルコとの戦争では拠点となった町だそうですが、今は緑豊かな美しい町でした。ここの名所は、“アクロナフプリア要塞跡”と“パラミディの城跡”。
また、アクロナフプリア要塞跡の裏には綺麗なビーチがあり、地元のお爺ちゃんお婆ちゃん達が長閑に日向ぼっこしていました^^。
ナフプリオンにて ナフプリオンにて 



今日は大忙しの1日です。
続いて、医神アスクレピオスの聖域“エピダヴロス遺跡”です。
ナフプリオンから内陸に車で走ること約1時間、静かな山間にひっそりとありました。
紀元前6世紀頃、アスクレピオス信仰がギリシャ全土に広まり、国中の病人がこぞってここへやってきたそうです。
当時の治療は、スポーツで体を動かした後、観劇や音楽鑑賞を楽しみ、身も心も癒すという、今で言う‘ヒーリング’が主だったそうです。
その為ここには宿泊施設の他、古代劇場・体育訓練所・スタジアムなどがあります。
中でも古代劇場は保存状態が大変良く、ほぼ当時の原型を保っています。夏には演劇・オペラ・コンサートなどが開催され、観光客で賑わうそうです。
ステージの囁きがどこからでも聞こえると言われる程の抜群の音響効果もあり、確かに広い会場内にいる他の観光客の声がよく聞こえました。
アテネのイドロ・アティコス音楽堂で市街を見ながらの音楽鑑賞も良いでしょうが、夕暮れ時に自然に囲まれ鈴虫の鳴き声を聞きながらの鑑賞は格別でしょう。いつか見てみたい・・・。
エピダヴロスにて エピダヴロスにて 
エピダヴロスにて


博物館には当時の医療道具が展示されていました。写真中央は紀元前6世紀頃の鑷子です。
エピダヴロスにて エピダヴロスにて 

こちらは当時の患者宿泊施設です。
エピダヴロスにて


スタジアムに、エジプトの医神イムホテップを祀る神殿跡。当時のギリシャ人は隣国エジプトの神も受け入れていたことがわかります。
エピダヴロスにて コリントスにて 



今日はこれからスパルタ教育で有名なスパルタ行ってきます!!
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[ 2008/10/30 18:05 ] 旅行道中編~Greece | トラックバック(-) | CM(0)
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